丸モ高木陶器|明治20年創業、温度をデザインに変えた美濃焼
丸モ高木陶器、温度が物語を運ぶ食卓へ

明治20年(1887年)、岐阜県多治見市市之倉。1400年の歴史を誇る美濃焼の産地、そして「盃の町」として古くから栄えてきたこの地で、丸モ高木陶器は産声をあげました。「マルイ商店」として盃の販売を始めて以来、139年。代々受け継がれてきた職人の手仕事は、5代目・髙木正治氏のもとで、まったく新しい姿へと姿を変えています。
その挑戦の名前が、「温度をデザインに」。冷たい飲み物を注げば白磁の盃に桜が咲き、熱い珈琲を注げば黒のマグに紅葉が色づく。器が、料理や飲み物の旬の瞬間を、目で見える形にして食卓に運んでくれる――そんな驚きとサプライズを宿した冷感・温感シリーズは、いま六大陸の食卓で愛される、丸モ高木陶器の代名詞となっています。
1400年の美濃焼と、139年の挑戦
日本国内で生産される陶磁器のおよそ半数を占める「美濃焼」。その一大産地が、丸モ高木陶器の拠点である岐阜県多治見市市之倉です。窯元、絵付け師、釉薬や顔料を扱う加工会社――一つの器が完成するまでに、複数の手と技がいくつも重なる町。丸モ高木陶器は、産地に張りめぐらされたこのネットワークの結節点に立ち、企画から生産・納品までを自社一貫体制でプロデュースしています。
創業は明治20年(1887年)。「マルイ商店」として盃の販売を始め、終戦後の1945年に上海から引き上げて産地問屋として再興。1990年には、現上皇陛下の即位の礼に際し、宮内庁御用達の陶磁器店を介して器を納めるという栄誉にも恵まれました。日本の和食文化を追求する食器づくりは、こうした節目の場面で静かに証を立ててきています。
その歩みを、いま5代目として受け継ぐのが髙木正治氏です。代々の職人技を守りながら、和食文化が世界へ広がる時代を見据えて自ら海外へ足を運び、「温度をデザインに」という新しい挑戦で、丸モ高木陶器を次の時代へと導いています。
六大陸を彩るテーブルウェアカンパニー。 ― 丸モ高木陶器
温度をデザインに。
丸モ高木陶器が一番のこだわりとして、そして最大の苦労として語るのは「発色」の精度です。冷感シリーズは17℃以下、温感シリーズは45℃以上で色が変化する特殊な顔料を調合し、専用の窯で焼き上げる。理想の発色の変化が表れるまで、何度も試作品を焼いては実験を重ねたといいます。
変化点に近い温度では、絵柄がほんのり優しく色づく。より冷たく、より熱くなれば、くっきりとした色合いへ。その細やかな表情まで、職人と研究者が一つひとつ確かめながら作り上げたシリーズです。
まず白磁の盃や透明なグラスから絵柄が立ち上がる桜と花火シリーズが生まれ、次に既に色づいた状態から別の色に変化する紅葉シリーズへ。混じり気のない白磁の美しさは、変化の鮮やかさを引き立てるための、丸モなりの答えでもあります。長年培ってきた「転写」と「手描き」という美濃焼伝統の絵付け技法に、「目に見える温度」というイノベーションを編みこむことで、他にはない一つの体験が、磁器のうえに完成しました。
感動とサプライズの食事体験を、あなたに。
古くは1万5千年前、縄文土器に始まった日本の焼き物の歴史。その長い歩みに、新しい一行を書き加えられないか――そんな問いから、丸モ高木陶器の冷感・温感シリーズは生まれました。器が、料理や飲み物の温度を可視化し、一番の旬の瞬間を知らせてくれる。「料理は目で楽しむ」と言いますが、食材の盛り付けだけではなく、器そのものが食事を楽しむエンターテインメントの一つになる――そんな新しい食卓の風景です。
毎晩の晩酌のお供に、大切な方へのおもてなしに、海外のご友人への贈り物に。丸モ高木陶器が運ぶ全く新しい食事体験を、ぜひ食卓でお楽しみください。
丸モ高木陶器の歩み
- 1887 岐阜県多治見市市之倉にて、「マルイ商店」として盃の販売を開始。
- 1945 終戦後、上海から引き上げ、産地問屋として再興。屋号を「丸モ」へ。
- 1980 資本金1,000万円で会社組織化。
- 1990 宮内庁御用達の陶磁器店を介し、即位の礼の器を納める。
- 2014 海外事業部発足。香港、シンガポールへの展示会に出展。
- 2017 髙木正治氏、5代目代表取締役社長に就任。
- 2020 冷感・温感シリーズの発売を開始。



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